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ENGLISH FOR LIFE

私と日本語:ステージ1

7年生(中学校1年生に当たる)から日本語を学校で習い始めました。当時オーストラリアの学生は、フランス語、ドイツ語など、ヨーロッパの言語を勉強していましたが、私の学校は先頭を切って日本語をカリキュラムに取り入れました。7年生の時は日本語とフランス語を、8年生の時はドイツ語も勉強しました。3つの言語とも必須科目で全員勉強しましたが、9〜10年生の時は選択項目として日本語を選びました。

 

フランス語もドイツ語も好きで成績がよかったのに、なぜ日本語を選んだのかよく覚えていません。当時父はアマチュアのオペラ会社のオーナーで、私が2歳の時に「ミカド」という有名なイギリスのオペレッタをプロデュースしました。当然ミカドの舞台は記憶に残っていませんが、誰かからミカドの絵本をもらって、その中に時代劇に出るような髪がとても長い女の人が描かれていました。とても美しくて小学生の頃によく絵を眺めていて、日本人の女性に憧れました。それが日本と日本語に興味を持つきっかけだったと思います。

 

ちなみに、私が大学1年生の時に父がもう一度ミカドをプロデュースしましたが、その時私も出ました(赤い帯を巻いているのが私です)。

学校の日本語の授業は、最初の2年間は日本語の入門コースという感じで、挨拶、単語や簡単な文章、平仮名などの勉強や、「春がきた」や「ギンギンギラギラ」などの歌を覚えたり、当時ブリズベーン市唯一の日本料理のレストランでお箸の使い方を練習するなど、本格的な言語習得の指導ではありませんでした。しかし、選択科目の日本語の授業では、本格的に文法、漢字や翻訳などの勉強を始めました。先生はオーストラリア人で日本語が上手に話せたかどうか覚えていませんが、私たちは生の日本語を聞いた事がなかったので、上手に聞こえました。日本語を勉強するのが大好きで、抜群にいい成績を取りましたが、11〜12年生の時は、選択項目のスケジュール上で音楽の授業との調整がうまく行かず、残念ながら日本語をやめざるを得ませんでした。

高校を卒業し、音楽の大学に入ろうと思っていましたが、父が「あなたは音楽で食べて行けるだけの能力はない」という言葉に挫折しました。超親バカの父がそれを言うならと、音楽大学への入学をやめて、違う勉強を探し始めました。

それで、日本語、中国語かインドネシア語が専攻できる近代アジア学部を選びました。文学士の学位が取れる3年大学で、日本語を専攻科目とし、日本の歴史、経済、政治や文学も勉強しました。日本語の授業が週8時間で、オーストラリア人と日本人の先生に教わりました。中学高校で日本語を4年間勉強したお陰で、さほど勉強もせずに成績がよくて、周りのみんなほど苦労しませんでしたが、やはり常用漢字の暗記、和英・英和の翻訳などは大変でした。もう少し勉強しておけばよかったと今になって思いますが、成績がよい方で、クラスメートの中で日本語が上手にできると評判がよかったです。

ところで、卒業してすぐ一流ホテルの営業部にマネジャーの研修生して入社しましたが、そこで自分の日本語の能力を疑うハプニングがありました。主に会社や旅行会社へPRする仕事をしましたが、入社して6ヶ月後に、日本人のツアーグループがチェックアウトの時に支払いでもめていて、ツアーガイドさんがまだ現れずチェックアウトの係の人とコミュニケーションが取れなく、私がフロントデスクに呼ばれました。堂々とフロントに向かっていきましたが、代表と思える1人が私に日本語をベラベラ話し初めました。あまりにも早口で、知らない単語も多すぎたので、何を言っているかさっぱりわからなく、頭が真っ白になりました。何か言わなくちゃと必死に考えましたが、口から出てきた言葉はただ1つ。「何?」。幸いにガイドさんがちょうどその時に来て、その日本人と2人で話し始めましたので、私がその場からこっそりと消えて行きました。

中学高校で4年間、大学3年間、合計7年間日本語を勉強したのに、いざとなった時にまったく話せなかったので、とても大きなショックを受けました。そこで日本に行くことを即決し、3ヶ月後に成田空港に到着しました。

ライター:EFL Club 校長 Laura Macfarlane

オーストラリア出身。グリフィス大学近代アジア学部卒。日本で25年以上生活。日本語能力検定1級を取得したバイリンガルで、3姉妹の母。1996年にEFLを創立。その理念やカリキュラムの元になっているのは、自身の娘たちをバイリンガルに育てた母としての感覚、ハンディキャップを持つ次女の傍らで必死に勉強した脳の仕組みや言語訓練に関する知識、自身の日本語能力検定1級取得に至る過程から学んだこと、日本国内の様々な学校で英語指導を多数行った経験などなど。これらを通して自分が正しいと思ったことだけを、愛する生徒たちのため日々力強く実践中。

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