英語を学んだその先に
私の前職は高校の英語教員ですが、ある日の授業中に生徒に言われたことがあります。英語の授業は、さっぱりわからなくても50分間座り続けることで、忍耐力を養うための時間だ、と。笑
EFLに通ってくれている生徒さんたちはそうは思っていないと思いますが、では英語を身に付けるのはなんのためですか?
海外にお友達を作るため、将来の職業の選択肢を広げるため、などなど。どれもステキな目標だと思います。
とそこで、もう少し考えてみてもらいたいのですが、英語が話せたら必ず海外の人と仲良くなれるのか。英語が話せたら必ず充実した仕事ができるのか…。
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もう10年近く前になってしまったのが信じられませんが、いまだに風化できない東日本大震災の記憶。高校生なら思い出せるのではないでしょうか。
そして、今回の新型コロナウィルスの感染拡大によって起こった社会不安。
おうち時間の過ごし方の工夫と共に、学校が休校になったことによる学びに対する工夫も必要な日々で、保護者の方や子どもたちは大変だったと思います。
このような悲しみや苦しみの状況は、日本人の国民性の高さが再認識される機会となることがあります。震災の時には、略奪等が起こらず配給の順番を待ち整然と並ぶ長い列などが、世界で驚きや賞賛の言葉と共に報道されました。今回のコロナの状況下では、色々な意見はあるのだと思いますが、罰則なくある程度の自粛が達成されたことは一部評価されているようです。
しかし、困難の状況下で出てくるもうひとつの話題として、残念ながら「差別」や「いじめ」などもあります。震災の時も、今回もそうでした。
非日常のできごとを前にしても他人を思いやりなさい、というのはきれいごとかもしれません。しかし、困難の状況下で私たちが目の当たりにしてきたものは、未曽有の悲劇に見舞われ、苦しみと悲しみに沈み込む日本に震災翌日から届いた、途上国を含む海外の国々からの、心のこもった支援の数々。そして、人類共通の困難として戦わなければならないウィルスの前では、まるで無意味な国籍による人間の区分け。
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子どもの成長に望むもの、それは、幸せになってもらいたい、という思いが究極かと思います。それを子どもにわかる言葉で教えてあげる方法は色々あると思うのですが、私が高校の教員をしていたときには、あれこれ言っても高校生も理解しないので、「優しい人になりなさい」という言葉で指導をしていました。
優しい人になれば、人にかわいがられたり信頼されて、適切なタイミングで指導や助言をもらえたり与えることができるなど、人間関係に恵まれた人生になるだろうという思いからでした。例えば自分のゴミをその辺にポイっとしゴミ箱に入れないという些細な行為も、周りを不快にさせる、誰かの手をわずらわせ捨てさせる、という時点で優しくない行為なので、とにかく「優しくない」と思うとすごく叱りました。
EFLの子どもたちにも、優しい大人になるために英語を勉強してもらいたいと思います。英語が話せて終わりではなく、習慣の壁を越えて人の心情を理解し、人種の壁を越えて思いやりを持ち、言葉の壁を越えて感謝やねぎらい、心配の言葉をかけることができる大人になること。英語を話せて終わりではなく、国籍の枠を超えて助け合える交流関係を築いてもらいたいと、自分自身の言動もちょっと反省しながら考えた自粛の日々でした。
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渡辺憲司さんという、埼玉にある立教新座中学校・高等学校の校長先生だった方をご存知でしょうか。震災の際に「時に海を見よ」という卒業生への祝辞をインターネット上で公開し、そのあたたかく力強い言葉が話題になった方です。この方の言葉を紹介し、今日のブログは終わりにしたいと思います。今年の2月末、休校に入り家で過ごすことになる学生たちに向けて、歴史の中で繰り返されてきた感染症患者や放射能汚染地域出身の子どもたちへの差別について触れたあと、以下のように言葉を結ばれています。
あ、ちなみに冒頭の生徒が言った、若者が高校に通うべき理由は、「髪を茶色くしちゃダメ」「ピアス穴をあけちゃダメ」に3年間耐え忍ぶことで、卒業した時に髪を茶色くしてピアス穴をあけたときの喜びをより大きなものにするため、だそうです。笑
いいえ、違うんだよ。でもそれはまた後日。渡辺先生の「時に海を見よ」のご紹介と共にお話ししたいと思います。
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自由学園ホームページより『最高学部長 渡辺憲司のブログ「時に海を見よ その後」』 2020年2月29日付け『第145回「今本当のやさしさが問われている。」コロナ対策に向けて』から一部抜粋
私達の精神は、危機と不安の中に立たされ揺らいでいるかもしれません。しかし、そのような時であるからこそ、人間の評価が試されているのです。危機的状況は人間の尊厳が試される時でもあります。毅然たる態度で、究極のやさしさをもって人々に接しましょう。
(途中省略)
そして同時に私が強く諸君らに望むことは、弟や妹に今まで以上にやさしく接してほしいということです。親の仕事の支えになり、高齢者への心に寄り添ってほしいということです。君たちの若さはそれに耐えうるはずです。貢献できる力を持っているはずです。中学生であれ、高校生であれ、大学生であれ、家庭にあって大きな支えになってほしいのです。正義と柔軟な感性を持つ若さこそ社会と家庭を思いやりとやさしさに包まれた場所に引っ張って行けるのです。積極的に頼られる存在になってください。
それは、この社会から差別や偏見を一掃する第一歩です。コロナへの対策は、病気の蔓延を防ぐのみではありません。差別なき社会のありようを決める試金石でもあるのです。人間の持つ真の絆が生まれるのは、危機です。
やさしさを胸いっぱいに吸い込んで明日に向かいましょう。遅くとも春は必ず来ます。学園で再会しましょう。
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お時間があれば、こちらもぜひお読みください☺️
2016年7月スタッフブログ『ダンネバード』
ライター:EFL受付Atsuko
道内の高校で英語教員として15年間勤務。時代は学校の英語の授業にオールイングリッシュの授業を求め、カリキュラムや教科書が変わり始めたころ。一方で現場にいるのは、ひたすら訳読を勉強し会話の授業を受けた経験などない世代の教員たち+思春期・反抗期真っただ中の生徒たち。この状態でオールイングリッシュの授業の成立など夢物語、できたところで日本人の英会話力はあがらない、と悶々とした日々を送った愛犬家。現在は、文法が苦手な中学生高校生のお手伝いをたまにちょっとしつつ、日本人の英会話力になにが必要か、日々勉強し発信しています。